応募者の思い

H27年度 応募者の思い

今年は10名の大学生に支援金をお渡ししました。
支援金を受給した皆さんから頂いた「思い」をご紹介いたします。
(公開については、皆さんの了承を得ています)
 
作文には
・どうして進学したのか?
・進学先で習得する知識・技術を被災地復興のために如何にして発揮するのか?
・支援して下さった皆様へ一言
を盛り込んだ内容で書いて頂きました。
被災を経験し、それぞれ夢や目標をもって大学に進んだ受給者の思いを皆様に知っていただければ幸いです。

 

大船渡市のAさん

 私は、岩手の小学校教諭になるために岩手大学へ進学しました。 震災時に子どもたちを集めて学校の校庭で遊んだのがきっかけで小学校教諭になりたいと思いました。それと同時に震災復興にも貢献していきたいと思っていました。

 岩手大学の教育学部では小学校教育コースがあり、付属小学校と連携し実習を行う機会が多くあります。また、震災復興・地域創成をかかげており、岩手の震災復興に関して基礎ゼミナールなどを通して、考え、貢献しているので教員を目指して学びながら震災復興についても考えることができると思い、岩手大学に進学しました。

 しっかりと教職について学び、岩手の教員になり地域の宝である子どもたちの教育をするということは地域の活性化となり、復興にも繋がります。

 また、現在は教職についての講義はもちろん、基礎ゼミナールや教養科目を通して岩手の復興教育について学んだり、岩手の良さを再発見したりしています。復興教育として震災を教訓とした防災教育や、震災を風化させずに語り継ぐことを行っていきたいです。岩手の良さも伝え、地元愛を持って社会に出る人材を育成していきたいとも思っています。それが復興になると思います。

 支援してくださった方々、本当にありがとうございました。将来の夢を叶えるための資金として大事に使っていきたいと思っています。また、将来の夢である教員になったら様々な理由が有ると思いますが私のように進学が難しいという子どもたちの支えとなっていきたいと思います。本当にありがとうございました。

 

大船渡市のUさん

 このたびは若草リボン基金を受給させていただくことになりました。この取り組みを行ってくださった方々、支援してくださった方々に深く感謝申し上げます。本当にありがとうございました。いただいた奨学金は自分の将来に役立つような使い方をしたいと思います。
私は岩手大学人文社会科学部人間文化課程に進学しました。進学した理由は大きく二つあります。

 一つ目は、自分の学びたい分野が岩手大学にはあったからです。私は海外の教育活動に興味を持っていて、特にドイツのルドルフ・シュタイナーという教育者について研究したいと思っていました。岩手大学にはシュタイナーについて研究している教授がいたことに魅力を感じたのです。

 二つ目は、自分の出身である岩手にある大学で学びたいと思ったからです。岩手大学では東日本大震災の後、被災地研修などの震災学習に力を入れています。実際に東日本大震災で被災した人で、大学へ進学して地域のリーダーという立場として復興に貢献する人は、そう多くはありません。自分がそのうちのひとりとして地元の復興に携わるためには、自分の出身である岩手県の大学で、しかも震災学習に力を入れている岩手大学は進学先として適していると考えたのです。

 私は前述したとおり、ドイツの教育に興味を持っています。岩手大学では海外留学や海外研修に力を入れていて、その中にドイツでの研修もあります。私はその研修に参加し、身を持って学び、積極的に交流をして、多くのことを得たいと思っています。今回いただいた奨学金は、そのために使いたいと考えています。将来は学科での学びや国際交流を通して培った力を使って、地元の観光の活性化に取り組みたいと考えています。
最後に、支援してくださった皆様、本当に感謝しています。皆様の気持ちをしっかりと受け止め、将来のため、復興のために日々努力していきます。本当にありがとうございました。

 

陸前高田市のSさん

 若草リボン基金の皆さん、また若草リボン基金に協力してくださった皆さん本当にありがとうございます。このいただいた支援金に皆さんの様々な思いが詰っているのをすごく感じています。だから、その皆さんの気持ちに応えらえるようにこの支援金は私の将来の夢の実現のため大事に使わせていたただきます。

 私は震災当時、陸前高田市に住んでいてそこで震災の被害を受けました。町のほとんどが瓦礫の山と化してしまいました。私はそんな町の現状を見て前の活気のある陸前高田市を取り戻したいと強く思うようになりました。そのためには町づくりの知識がなければ意味がないと思い進学を決意しました。私が進学した学校の学科では町づくりに必要な建築、防災、福祉について学べます。また、岩手県にあるので被災地域と連携して学ぶことができます。つい先日私が入学した学科では宮古の田老町を訪問し震災当時の光景、これからどう復興していくかの案などを聞きすごく勉強になる体験をしました。今はいろいろな知識がついていることを実感していますし、すごく毎日が楽しいです。このように入学して本当に良かったなと思っています。進学したことが無駄にならないように勉強を一生懸命頑張り将来の役に立つようにしたいと思っています。

 私はこの進学した学校で得た知識や技術を被災地復興のためにどう発揮していくかを具体的に話すと今考えている中では、私が陸前高田市に戻って市役所に入りそこには建設部、復興局などがありそこは知識や技術を発揮できる場所であるのでそこに配属しどのような町にするか市民と話し合い協力しながら決めていったり専門的に考えて市民の意見をいい方向に還元できるようにしたりしながら陸前高田市をいい町に作っていけたらいいと思っています。また、陸前高田市だけでなく他の被災した地域にも活動範囲を広げ力になることができたらと思っています。今考えているのはこのくらいのものですがこれから後4年以上ありもっと考えを広めてもっと多方面的に考えていくことができるようになるのでさらに良い考えになり被災地復興に貢献することができるようになると思います。

 ここまで成長できたのも、またこれから成長することができるのも本当に支援してくださった皆さんのおかげであると思います。震災当時は毎日支援物資が届きました。そのおかげで生きていくことができましたし、物だけではなく皆さんが私たちのことを助けたいという思いが伝わり震災で荒んだ心も元気が出るようになりました。心身ともに助かりました。また、日本だけでなく世界各国からも支援物資が届きました。多くの方が様々な形で支援していただきました。支援の仕方は様々ですが皆さんの想いは一つでした。世界中の人々が一つになるのを感じ人の力というのを実感することができました。これらのことは本当に感謝しても仕切れないほどです。本当にありがとうございました。これからは私が恩返しする番だと思います。私が被災復興に力を注ぎ復興させていくことが恩返しだと思っています。絶対に恩返しします。今回は本当にありがとうございました。

 

陸前高田市のMさん

 この度の若草リボン基金の給付に心から感謝しています。私は陸前高田市出身で、震災で被害を受けた地元、特に水産業の復興に携わりたいと考えていました。そこに岩手大学に新しく水産コースができると聞き、県内で水産について学べるという自分の目標達成に一番近い環境で学ぶことを目指し、岩手大学農学部食料生産環境学科水産システム学コースに進学することを決めました。私は大学で特に養殖について学びたいと考えており、将来は研究職に就き、得られた成果を地元に還元していきたいと考えています。この度いただいた給付金は、自分の学を広げ、深めるために大切に使っていきたいと思います。支援してくださった皆様に心より感謝申し上げます。

 

宮古市のKさん

 日本は、世界から「地震の大国」と呼ばれているくらい地震が多く、また地震に伴い津波も発生する国です。私は、そんな日本から、少しでも地震・津波の被害を減らしたいと考えています。そのために、地震・津波に対する防災の研究がしたいと考え、岩手大学 理工学部 システム創成工学科 社会基盤・環境コースに進学を決めました。

私が進学したコースは、都市計画や社会インフラ整備などに必要な知識を学ぶことのできる所です。この知識は、東日本大震災や熊本地震などの被災地をより 地震・津波に対する防災を考えた街にすることが出来たり、震災で破損した道路や橋の補正計画を立てて、被災地の復興に貢献することができます。また、私は東日本大震災を経験しているので、被災者から見た町の防災の甘さや復興に向けての課題を間近で見てきました。この経験と大学で学んだ知識を融合し、ゆくゆくは、日本だけでなく、世界から地震・津波による被害を無くしたいと思います。 私が今、大学で勉強に集中できる環境にいる事は、皆さまの支援のおかげです。ありがとうございました。

 これから、大学でたくさん学び、被災地の復興に貢献できる人になりたいと思います。支援していただきました皆さま、本当にありがとうございました。

 

釜石市のFさん

 私、Fは今年度から国立岩手大学、理工学部への進学が決定いたしました。
岩手大学への進学は高校入学時からの第一志望だったので、合格発表の日に自分の受験番号を見つけた時は本当に嬉しかったです。
私が岩手大学への進学を望んだ大きな理由の一つに、2011年3月11日の東日本大震災があります。

 当時私は岩手県釜石市の釜石中学校の1年生でした。3年生を送る会という行事が終わって教室に戻り、帰りのホームルームも終わり家に帰ろうという時でした。地鳴りがしてきて、それはすぐに大きな地震となりました。教室の机や棚、さらには固定されているはずのクラスの皆のカバンを入れる大きなロッカーまで倒れてきました。幸いなことに担任の先生の指示で、クラスの皆が自分の机の下に隠れていたので、怪我人は1人も出ませんでした。その後、校庭に出て、すぐに避難所へ向かいました。友人たちの顔を見ると女の子達は皆泣いていて、男子も不安の色を隠せませんでした。通っていた生徒は海側に住んでいる人も多く、その親も海近くの会社で働いていました。皆口々に「俺の家はダメだ」「親大丈夫かな」というようなことを話していました。私の家も港のすぐ後ろにあり、母親も漁業関係の仕事をしていました。私は親戚の家に避難しており、親戚には「大丈夫だから」と励ましてもらっていました。父親は海からは遠いところで働いていたので、その日のうちに親戚の家に来ました。それでも、夜は小さな地震にも怯えながら、ラジオの遺体確認などで母親の名前が出ないことを祈っていました。私はまだ親戚が周りにいたので、少しは安心できましたが、避難所に避難した他の同級生は全く眠れなかったと言っていました。

 母親は2日ほどして親戚の家に来ました。その時は本当に嬉しかったです。何日かして住んでいた家に行くことになりました。道中は酷いものでした。家が崩れ、車が重なり、瓦礫の下から発見された人を見て泣いている家族。一番辛かったのは、まだ見つかっていない人を自分が見つけてしまうことでした。家に着いて見たのはコンクリート建ての私の家と瓦礫でした。周りの家はほとんど流され、瓦礫と化していました。とても辛かったです。近所の人も流された自分の家付近で、写真など思い出の品を探していました。私はこの時、将来はこの震災復興の役に立てる仕事に就きたいと考えました。そして、そのような仕事に就くためには大学進学が良いと考え、釜石高校に入学しました。入学し、どのような部門の職に就きたいかと考えた結果、建設で地域に貢献したいと思いました。なぜなら、震災当時にはあっけなく流されてしまった建物や、避難所になっているのに津波にのまれてしまった建物がありました。このようなことをなるべく減らし、もし次に同じかそれ以上の地震が起こり津波が来ても、被害を減らせるような建物や避難所の建設に携わりたいと思ったのです。
当時の体験を長々と書いてしまいました。しかし、あの時のことを詳しく知ってほしいと思い、書かせていただきました。

 岩手大学では、私の入学する年から地域創生特別プログラムが導入され、その中に設置された防災・まちづくり系というコースでは、地震や津波、防災のことについてより深くまで学べることになりました。私が岩手大学に進学を希望した理由はそこにありました。今、念願叶い岩手大学に合格することができ、本当にうれしく思っています。4月は入学式やテスト、慣れない独り暮らしに悪戦苦闘しておりました。4月は忙しい日々ではありましたが、とても刺激的な体験をすることができました。また、熊本での大地震もあり、改めて地震の怖さを思い出しました。このような災害に貢献できるよう大学で学んでいきたいと思いますこのような体験が今できているのは親や友達、学校の先生、震災の時に助けてくれた人など様々な人との繋がりがあったからだと思います。

 そして今回、この奨学金によって、新たな繋がりを持つことができます。大学生となり新しい環境に置かれ、不安な事が沢山あります。その中で、この繋がりを持てることはとても心強いです。この繋がりを大事にしながら、これからの大学生活を過ごしていきたいです。

 

釜石市のMさん

 私が岩手大学へ進学した理由は、私の好きな分野である経済学について勉強するためです。私の所属する人文社会科学部地域政策課程は、法学・経済と環境科学を中心に勉強しますが、地域政策課程の名の通り、復興に限らず地域に根ざした政策についても学んでいます。私は、まだ自分の将来について明確な夢を持っているわけではありませんが、大学で学ぶ知識や経験を活かし、地域経済の発展に貢献できるようになりたいと思っています。そしてそれが、私の故郷を含め、被災地の復興に繋がると思っています。
今回、光栄にも若草リボン基金様が集めた寄付金のうちから支援金をいただくことができ、支援してくださった皆様には大変ありがたく思っております。将来を見据えた、より有意義な大学生活を送れるように、役立たせていただきます。本当にありがとうございました。
この繋がりを大事にしながら、これからの大学生活を過ごしていきたいです。

 

釜石市のSさん

 私は植物の品種改良について学びたいと考えたため岩手大学農学部植物生命科学科に進学しました。私の実家のある釜石は津波によって甚大な被害を受けました。

 震災当時、私は中学1年生でした。生まれたときから過ごしていた我が家兼店舗は全壊、見慣れた街並みは見るも無残に跡形もなく瓦礫にまみれてしまいました。釜石はリアス式海岸に面しているため海産物が有名であり、津波による被害も主に海産物が占めています。しかしながら実際は水産業だけで成り立っていたわけではなく農業も釜石にとっては重要なものの一つです。例えばシイタケ栽培などがそれらに当てはまります。津波による塩害で植物は育たなくなり、放射性物質がばらまかれたことにより出荷規制を受けた作物は廃棄せねばならず釜石の農業も大きな打撃を受けています。この被害は釜石だけでなく他の東北地方も受けています。

 岩手大学農学部には歴史があり主に東北の農業において大いに貢献しています。主に寒冷地作物について岩手大学では研究がおこなわれていますが、現在、岩手大学では地方創生をスローガンに掲げ、塩害に強い作物の研究や土壌中の塩分を取り除くための研究のように被災地の農業を復興させるための研究も多くなされるようになってきています。震災からはや5年、まだまだ沿岸部の復興はなっておらず未だに仮設住宅に住んでいる人もいます。その中で岩手の学びの中心である岩手大学が沿岸部の復興に興味をもっていただけているのはとてもうれしく思っています。この機会を逃すことなく私が将来やりたいと考えている品種改良についての知識を深めたいと思っています。私は将来研究者になりたいと考えています。地元の農業を復興させるため塩害に強い作物の作成や放射性物質を植物中に取り込ませ土壌を浄化させるファイトレメディエーションなどに取り組めたらいいなと思っています。そのためにも今は岩手大学で勉学やサークル活動などに積極的に取り組みます。

 今回若草リボン基金を受給し、この奨学金は全国の支援者の皆様の善意によって集められたものだということを噛みしめながら大事に使っていきたいと思っています。また未だに震災について考えていてくださることがいることにとても幸せを感じるとともに、今後私たちと同じように被害を受けた方々には積極的に救いの手を差し述べていきたいです。今回の奨学金にはとても感謝しています。全国の支援者の皆様本当にありがとうございます。

 

山田町のTさん

 まず始めに、若草リボン基金の方々をはじめ、このようなご支援をしていただいた皆さまに、心から感謝を申し上げます。いただいた奨学金は、書籍類の購入や陸上競技の遠征等に活用したいと考えています。

 私が岩手大学への進学を決意した理由は、大きく二つあります。
1つは、岩手大学の人文社会科学部では、私が学びたかった「スポーツ」と「地域社会」、二つの学びが両立できる環境が整っているからです。スポーツに関しては、スポーツの専門技術や知識に加えスポーツに取り組む人々を支える目線からスポーツの運営やマネジメントについて学びたいです。また、スポーツを科学、社会学など、あらゆる学問の観点から考察したいです。地域社会に関しては、被災地学習や地域についての授業を通し、これからの岩手県ではどのような政策や取り組みを行うべきかを考察したいです。私がその地域社会にどのように貢献できるかを考えたいです。

 もう1つは、岩手大学の陸上競技部が、全国でも実績があり、自身の競技力を高める環境が揃っていると考えたからです。入学前から、岩手大学の先輩方には試合や合宿等でお世話になり、競技に真摯に打ち込む姿や、試合で高いパフォーマンスを発揮していた姿に憧れました。そして私も、そのような先輩と競い、鍛錬を重ねつつ、岩手の陸上界を引っ張るような選手になりたいと考えました。

 岩手大学で学んだ知識や技術、得られた経験を生かし、将来は地方公共団体の職員として、震災復興と岩手県の発展に貢献したいです。 また、現在取り組んでいる陸上競技にも、生涯にわたって取り組みつつ、岩手の皆さまに、身体を動かすことの楽しさや素晴らしさを伝え続けていきたいです。

 

釜石市のYさん

 私は東日本大震災で家が全壊し、生活の基盤をすべて無くしました。それでも、今まで生活出来ていたのは日本全国、さらに海外からの支援があったからです。東日本大震災の支援を受けて、私も支援を必要としている人の支えになりたいと思い、特別支援学校教諭を目指すようになりました。また、私は岩手の障害を抱えた子どもの教育に携わり、岩手のために貢献したいと考えていたため岩手大学に進学しました。

 大学では特別支援学校教諭になるための知識や経験を得て、将来は岩手の沿岸部で震災で心の傷を負った子供たちに精神的な面でもサポートし、被災地の子供たちが大きく育っていけるように力を注ぎたいと考えいます。

 支援してくれた皆さんのことを心に留め、岩手県で特別支援学校教諭になれるようにこれから大学生活を過ごしていきたいと思います。本当にありがとうございます。