東日本大震災から半年・・・若草リボンバッチの広がりと被災地からの声




東日本大震災から早半年。
最初、「若草リボン運動」は、「団結して難局を乗り切り若草のように復活、再生しよう」という強い意志のもと、岩手県立千厩病院院長、伊藤先生の発案により、開始されました。 そのすばらしい運動を応援したいという気持ちで、我々はこの「若草リボン基金」を立ち上げました。

半年が経った今、発祥の地である千厩病院はどのようなっているのか。
被災地である沿岸部の県立大船渡病院の皆様からも、若草リボンバッチをご購入いただき、たくさんの支援にご協力を頂きました。

この度、2011年9月15日に、現在の被災地の様子と、若草リボン運動、若草リボンバッチの広がりを皆様にお伝えすべく、取材に向かいました。

今回取材でお邪魔したのは、若草リボン運動発祥の地である岩手県立千厩病院。また、被災地である沿岸部の大船渡病院です。

千厩病院から大船渡病院へ向かうとき、沿岸部の街である宮城県気仙沼市、陸前高田市を通りました。
そこで目にしたのは、本当に半年経ったのかと目を疑うような惨状でした。「何もない」のではありません。確かに「ある」のです。「瓦礫の山」が。 道は通れますし、他の街への行き来は大丈夫。でも、今までの生活に必要だったものは瓦礫になってしまっていました。
私が見てきた現実を、私の言葉では現しきれませんが、可能な限りお伝えいたします。

この日、最初に訪れたのは、「若草リボン運動」発祥の地、岩手県立千厩病院。
伊藤院長を始め、総看護師長、副看護師長、その他の看護師さん、スタッフの皆様がおのおの若草リボンをつけてお仕事をされていました。もちろん、布リボンだけでなく、若草リボンバッチを身に着けて働いて下さってる皆様もたくさんいます。
若草リボン運動は、伊藤院長が発端となり、医療局へ呼びかけ、今では岩手県内の県立病院に発信され、広まっています。みなさん、最初は若草色の布リボンをくるりと巻いて使用していましたが、若草リボン基金でバッチを製作したことを知った千厩病院のボランティア団体「朝顔のたね」の遠藤郁子さん(写真5左)がすすめてくださり、スタッフのみなさんにご購入いただきました。
「目的がしっかりしているから、支援しやすい」という意見を頂きました。ありがとうございます。

震災当日は、沿岸各地(陸前高田、気仙沼、大船渡など)の患者さんを受け入れていたそうです。仮設住宅に入居しながら千厩病院に入院されている方はいらっしゃるようですが、地震の際に運び込まれた方々は既にほとんど地元に帰られたそうです。
また、内陸部にある県立大東病院が地震で建物に大きな被害を受け、入院されていた患者さんと共に千厩病院へ移ってきた看護師さんなどもいらっしゃいました。
「若草リボン運動」を始めて、地震直後に運び込まれてきた方々に同様に若草リボンをつけて入院をしてもらっていたそうです。そのリボンを見ながら、「元気づけられている気がする」と語った被災者の方もおられたそうです。
若草リボン及び若草リボンバッチをつけたスタッフの皆様は、明るい笑顔で患者さんたちとふれあい、お話をされていました。
この「若草リボン運動」はリボンやバッチだけでなく、エコ(クールビズ)の意味も込め、事務スタッフの皆さんは若草リボンをあしらったポロシャツで仕事をされている方もいらっしゃいます(写真4)。

途中で「朝顔のたね」の遠藤さんがいらっしゃり、遠藤さんが中心となって、千厩地区内に一生懸命若草リボンバッチを広めて下さっていることをお聞きしました。
最初は、若草リボンを布リボンでこつこつと作り、玄関においていたそうです。すると、患者さんたちも持ち帰り、あっという間になくなったそうです。
患者さんも病院スタッフも、皆心を一つにして、再生しよう!という気持ちがとても伝わってきました。

病院から程近い、「マリアージュ」という結婚式場のスタッフの皆さんがバッチをつけてくださっているとのことで、遠藤さんのご紹介で、急遽ではございますがお邪魔させていただきました。
スタッフの皆さんがバッチをつけてくださっていて、「そのバッチはなんですか?」という事もたずねられたりしているようです。
お写真をお願いしたところ、皆さん快くお写真を撮影させていただきました。本当にありがとうございます。



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沿岸部の県立病院、大船渡病院さんは、若草リボンバッチを500個近くご購入いただいており、看護スタッフほぼ全員が名札につけて、仕事をしてくださっています。この日も、追加で43個の納品がありました。

震災当日、運ばれたり逃げ込んだりした人たちに「あり得ない高さの波が来る!」と聞き、屋上へ上りその様を目撃したとのこと。
予備電源でかろうじて明かりはついていたものの、暗い中での作業、次々運び込まれてくる患者さん・・・シフトも何もお構い無しに、全てのスタッフが一丸となって働き続けたそうです。
「地震の後にすぐに逃げていればきっと大丈夫」
「自宅から下手に動いてなければきっと助かっている」
家族の安否もわからぬまま働き続け、各方面から派遣されてきた医師、看護師の皆さんに支えられ、人手が足りてきた頃にやっと安否確認に出かけられたとか。
「津波の直後に運ばれてくる人は、元気で命に別状がないか、もう亡くなっているか・・・どちらかしかなかったんです」
と語る看護師長さん。
病院スタッフには亡くなられた方はいないものの、数十名がご家族を亡くし、100名近くが家屋の全壊、半壊の被害にあったとのこと。
地震当日は県立病院の内示が発表され、看護師長さんは夜勤明けの看護師さんに地震直前に電話していたそうで、地震後に電話した看護師さんから話を聞くと、
「あの日、師長からの電話がなければ、そのまま寝ていて津波に飲まれていたかもしれません」
という話もあったとか。
「6ヶ月経っても、未だに新しい話を聞くことがあります。あの人は大変、この人の方がまだいいなんてない。差がないくらいのエピソードがある。」と語る看護師長さん。

各方面からたくさんの資金提供を受け、皆にいきわたるものを、と考えたところ、もともと存在を知っていた若草リボンバッチなら、心を一つにするというアイテムとしても良いし、何より被災地の役に立つ、とのことで、ご購入にいたったそう。
各病棟で何個注文するかと注文数を取りまとめていたところ、ドクターやその他部署からも注文が入り、合計で500個近くになったそうです。その後も追加のご注文をいただき、心より感謝しております。

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岩手県の沿岸部は、過去に何度も津波の被害を受けている地域です。街中を走っていると「ここから津波浸水警戒区域」という看板が目に入ります。
しかし、今回は、「ここからここまで」という部分の外まで被害が及んでいました。まさに「想定外」の大津波だったことを伺わせます。
三陸沿岸は、いわゆる「リアス式海岸」のため、水が狭い箇所に集まり、一気に高さを増します。
私が衝撃を受けて思わず撮影した一枚。それは、陸前高田市の1枚目。ガソリンスタンドの看板と錆びた車の写真です。ガソリンスタンドの看板の下部だけがめくれ上がり、上部は被害がないように見えます。その高さまで水があったということなのではないかと気づいたとき、ぞっとしました。あんな高さまで水の塊が押し寄せてきたと考えただけで恐ろしく感じました。
大船渡市の撮影をしていた時間は、丁度満潮に近い時間帯でした。地盤沈下して満潮になると街中まで水が浸水してくる・・・というニュースを目にした方も多いでしょう。大船渡市の1枚目。写っているのは漁港の門です。それを超えて、海水が道路まで出てきています。この門の奥は、駐車場か、コンクリートになっているようですが、海にしか見えないほど水位が上がっていました。
本当であれば、三陸沿岸は風光明媚な場所なのです。小島が点在し、のどかな漁村の雰囲気の味わえる、そんな場所・・・。その面影はまったくありませんでした。
これから復興に一体何年かかるのだろうか・・・。かつてのあののどかな雰囲気は戻ってくるのだろうか・・・。
カメラを片手に、立ち尽くし、そのようなことを考えながら、津波の犠牲者の方々に静かに手を合わせて帰ってきました。


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